「効いた気がする」を、次の判断にどう使うか
「それはプラセボ効果でしょう」。この一言には、話を終わらせる働きがあります。ただ、この言葉が指しているものは、そこまで単純ではありません。
ただ、プラセボ効果という言葉が指しているものは、そこまで単純ではありません。何が起きていて、何が起きていないのか。この整理は、補完的な方法を考えるときにも、標準的な治療を評価するときにも効いてきます。
まず、期待されているほど強くはない
プラセボに効果はあります。ただし、期待されているほど大きくはありません。それが分かるのは、効果を疑った側の研究です。
フロビャルトソンとゲッチェは2001年、New England Journal of Medicine に「Is the Placebo Powerless?(プラセボは無力か)」という研究を発表しました。彼らはプラセボ群と無治療群の両方を含む臨床試験を集めて比較しています。プラセボと実薬ではなく、プラセボと「何もしない」を比べたところが要点です1。
差は小さく、しかも参加者の多い試験ほど小さくなっていきます。規模の小さい試験で結果が大きく出やすいという、よくある偏りの形です1。

著者らの結論は、プラセボが強い臨床効果を持つという証拠は全体として乏しい、というものでした。機器で測る指標や「起きた/起きなかった」の判定には効果が確かめられず、本人が申告する指標と痛みでは小さな利益がありうる。臨床試験の外でプラセボを使う正当性はない1。
効くのは、痛みのような自分で感じる症状に対して、小さい幅で。それが試験から見えている範囲です。
100mm中6.5mmを、どう受け取るか
この6.5mmをどう見るか。
100mmの物差しで6.5mmの改善は、劇的とは言えません。ただ、慢性的な痛みを抱えている人にとって、無視できる差かというと、そうとも言い切れない。数字の大きさをどう受け取るかは、その人が何を抱えているかによって変わります。
同時に、この平均値の背後には個人差があります。まったく反応しない人と、はっきり変化する人がいて、平均が6.5mmになっている可能性がある。平均が誰のものでもないという問題は、ここにも当てはまります。
「気のせい」では説明しきれない実験
プラセボ効果を「効くと信じているから効く」と説明すると、ひとつ困ることが起きます。信じられない状況では効かないはずだからです。
カプチュクらは2010年、この前提を確かめる試験を行いました。過敏性腸症候群の患者を対象に、プラセボであることを明かしたうえで投与する群と、無治療群を無作為に比較しています2。
参加者には、それが不活性な物質であることが伝えられていました。それでも、11日目の途中評価でも21日目の終了時点でも、症状の改善はプラセボを飲んだ群のほうが大きいという結果でした。症状の重症度についても、両時点で有意な結果が観察されています2。
著者らは、欺瞞なしに投与されたプラセボが過敏性腸症候群の有効な治療になりうるとしつつ、さらなる研究が必要だと述べています2。
この結果は、まだ完全には説明されていません。治療を受けているという文脈、医療者とのやりとり、日々服用するという行為そのもの。そうした要素が関わっている可能性が議論されていますが、どれがどれだけ寄与しているかは分かっていません。
ひとつ確かなのは、「信じているから効く」という単純な説明では、この実験の結果を説明できないということです。
臨床試験にプラセボ群がある理由
ここまでを踏まえると、なぜ試験でプラセボ対照が使われるのかも整理できます。
ある治療を受けた人が良くなったとき、その変化には複数の要素が混ざっています。治療そのものの作用、症状が自然に軽くなる経過、測定のタイミングによる見かけの変化、そして治療を受けているという文脈の影響。
プラセボ群は、このうち「治療そのものの作用」以外をまとめて引き受けます。だから、実薬とプラセボの差が、その治療に固有の効果ということになります。
逆に言えば、プラセボ群のない研究では、これらが分離できていません。「使った人の◯%が改善」という数字が当てにならないのは、比べる相手がないからです。
まだ整理されていないこと
逆向きの現象もあります。プラセボで症状が「出る」ノセボ効果は、食物不耐を調べた試験でも観察されています。
プラセボ効果の機序については、期待や条件づけといった説明が提案されていますが、確立した統一的な説明はありません。
また、フロビャルトソンらの研究に対しては、方法論をめぐる議論も続いてきました。異なる病気・異なる測り方の試験を一つにまとめることの妥当性や、プラセボの提示の仕方が試験によって違う点などが論点になっています。この分野は決着していません。
そして、オープンラベル・プラセボの結果がどこまで一般化できるかも分かっていません。過敏性腸症候群という、主観的な症状が中心で変動も大きい対象で得られた結果です。他の疾患で同じことが起きるかは、まだ確かめられていません。
「気のせい」という言葉が閉じてしまうもの
実務的に効いてくる場面を1つ挙げます。検査の結果を受け取ったあとです。
結果を見て、生活を変える。数週間後に調子がよくなった。このとき変わったのは、変えた内容だけとは限りません。結果を受け取ったこと自体、変えようと決めたこと自体が、同じ向きに働きます。
だから一度に一つだけ変えることに意味があります。二つ同時に変えれば、どちらが効いたのか分かりません。そしてやめて、戻して、また比べる——1回では偶然と区別がつかない、という手順の理由もここにあります。
「気のせいだった」のではなく、何が効いたのかが分からない状態です。この二つは、次に何をするかが違ってきます。
誰かの体験を「プラセボでしょう」と片づけるとき、二つのことが同時に起きています。ひとつは、その方法に固有の効果がないと判断していること。もうひとつは、本人が感じた変化を軽く扱っていることです。
前者は研究で確かめられます。後者は、確かめる対象が違う。痛みが6.5mm分軽くなったことは、その人にとっては実際に起きたことです。
プラセボ効果が示しているのは、体験と、その体験を生んだ原因が、切り離して考えられる、ということです。効果があったかどうかと、何が効いたのかは、別々に問えます。
何かを試して調子が良くなったとき、その両方を分けて考えられるかどうかで、次の判断は変わってきます。
分けるために、1つだけ確かめられることがあります。いつから良くなったか、日付を思い出せるかどうかです。
始めた翌日から変わったなら、成分が体内で働く時間より早いことがあります。数週間かけて変わったなら、同じ期間に変えた他のこと(睡眠・食事・季節)も候補に入ります。何と比べているかを自分の中で決めておくと、次に試すときの判断が早くなります。
参考文献・参考資料
- Hróbjartsson A, Gøtzsche PC. Is the placebo powerless? An analysis of clinical trials comparing placebo with no treatment. New England Journal of Medicine. 2001;344(21):1594-1602. doi:10.1056/NEJM200105243442106 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11372012/
- Kaptchuk TJ, Friedlander E, Kelley JM, et al. Placebos without deception: a randomized controlled trial in irritable bowel syndrome. PLoS ONE. 2010;5(12):e15591. doi:10.1371/journal.pone.0015591 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3008733/
本記事は研究状況の整理であり、特定の治療法の推奨や否定、個別の診断・治療に代わるものではありません。
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