同じものを食べても反応が違う。自分の場合をどう知るか
健康の情報は、たいてい「人は」という主語で語られます。ただ、その平均どおりに反応する人が何割いるかは別の話です。自分の場合をどう確かめるかを整理します。
集団を調べれば平均は出ますし、平均は判断の出発点になります。ただ、その平均どおりに反応する人が何割いるかは、別の話です。「自分の体を知る」が意味を持つのは、このずれのところです。
同じものを食べても、同じことが起きるとは限らない
この話を具体的にしてくれる研究があります。
ゼエビらは2015年、800人を対象に連続血糖モニタリングを行い、46,898食分の食後血糖の反応を測定しました。そこで観察されたのは、同一の食事に対する反応が人によって大きく異なるということでした。著者らはこの結果から、普遍的な食事推奨の有用性には限りがあるかもしれない、と述べています1。
ある人にとって血糖を大きく上げる食品が、別の人ではそれほど上げない。パンとバナナのどちらが上げやすいかさえ、人によって逆になりうるのです。「この食品はGI値が高い」という一般則が、個人の反応をそのまま説明するわけではありませんでした。
研究チームはさらに、血液指標・食習慣・身体計測・身体活動・腸内細菌のデータを統合する機械学習アルゴリズムを作り、個人ごとの食後血糖反応を予測できることを示しました。この予測は独立した100人のコホートでも検証され、アルゴリズムに基づく盲検無作為化介入では、食後の血糖の上がり方がはっきり小さくなり、腸内細菌の構成にも一貫した変化が見られました1。
ここで気をつけたいのは、この研究が示したのは「個別化は可能かもしれない」という方向性であって、「個別化された食事が長期の健康を改善する」ことではない、という点です。測られたのは食後血糖の反応であり、観察期間も限られています。個別化栄養は有望ですが、確立した実践にはまだなっていません。
平均は、誰のものでもない
この隙間は、健康診断の基準範囲にもそのまま現れます。「異常なし」が答えている問いは、思っているより狭いものです。
この現象自体は、血糖に限った話ではありません。
集団の平均値は、その集団を要約するには優れていますが、特定の一人を表しているわけではありません。全員が平均から少しずつ違う方向にずれていれば、平均に近い人はむしろ少数になります。
研究が集団を対象にするのは、そうしないと偶然と区別できないからです。個人の変化だけを見ていては、それが介入によるものか、たまたまかを判定できません。集団を見る方法論は必然であって、その結果として「平均の人」という架空の人物が生まれます。
だから「エビデンスに基づく」ことと「自分に合っている」ことは、自動的には重なりません。EBMの定義に患者自身の価値観が含まれていたのは、この隙間を埋める部分が最初から必要だと分かっていたからでしょう。
では、個人について何が分かるのか
個人の反応を確かめる方法論も、実は存在します。
N-of-1試験と呼ばれるもので、一人の患者の中で、複数の治療期間を無作為な順序で繰り返し、その人自身における効果を比較します。ドゥアンらは2013年、この手法を患者中心の比較効果研究のための実践的な臨床意思決定の方法論として整理しています2。
集団のRCTが「平均としてどうか」を答えるのに対し、N-of-1試験は「この人にとってどうか」を答えようとします。同じ無作為化という道具を、対象を変えて使っています。
もっとも、この方法が使えるのは条件が限られます。症状が慢性的で安定していること、効果が比較的早く現れて中止すれば戻ること、繰り返しの測定ができること。急性の病気や、不可逆な介入には向きません。
この個人差は、日常の体感にも現れます。食後に眠くなるかどうかが人によって違うのも、同じ話の一部です。
今日から自分の反応を知る、素朴な方法
N-of-1試験を自分でやるのは現実的ではありません。ただ、その考え方の一部は日常に持ち込めます。
体質の違いがはっきり分かっている例としては乳糖不耐症があり、自分で閾値を確かめる余地も比較的大きい領域です。手順としては、次のようなことが効いてきます。ひとつは、一度に一つだけ変えること。サプリメントと運動と睡眠時間を同時に変えれば、何が効いたのかは分からなくなります。これは関連と因果を分ける話と同じ構造で、変数が増えるほど切り分けは難しくなります。
もうひとつは、比較できる期間を持つことです。「調子がいい」だけでは、何と比べていいのかが分かりません。やめてみる期間、戻してみる期間があると、変化の輪郭が見えてきます。
そして、変化には時間差があります。食後すぐに出るものもあれば、数日後に出るものもある。記録に時刻が入っていると、この差に気づけます。
知ることの限界も、知っておく
ここまで書いておいてなんですが、自分の体について分かることには限界があります。
体調は多くの要因で動きます。季節、睡眠、ストレス、感染、加齢。ある変化を一つの原因に帰属させたくなりますが、たいていは複数が重なっています。
測れるものが、大事なものとは限らないという問題もあります。数値化しやすい指標に注意が向き、数値化しにくい変化が見落とされます。体重や血糖は測れますが、集中が続くかどうかや、朝起きたときの感覚は測りにくいものです。後者のほうが本人にとって重要な場合もあります。
そして、記録すること自体が負担になることもあります。すべてを測ろうとすると、体調に注意を向け続けることになり、それが疲れを生む場合がある。何を測らないかを決めることも、同じくらい実務的な判断になります。
個人差の中身が、分かっている部分もある
「人によって違う」は、たいてい曖昧なまま終わります。ただ、中身が酵素名と頻度まで分かっている領域もあります。
日本人1,003人について5つの薬物代謝酵素の遺伝子型を調べた研究では、理論上483通りの組み合わせのうち139通りが実際に見つかりました。お酒の処理についても、日本人の4割強が働きの弱い側にいることが分かっています。
個人差があると分かっていることは、「だから確かめる意味がある」という向きに効きます。平均の話が自分に当てはまらないことは、実際にあります。
「自分の体を知る」を、少し具体的にする
一つ変えて確かめるときに、抜けやすいものが1つあります。いつまでやるかです。
医療の中には、その形が実際にあります。皮膚科が金属制限食を指導するときは「2ヶ月続けて無効であれば速やかに中止する」と決められています3。始めるときに、やめる条件が一緒に決まっている。
期間の長さは、変えるものによって変わります。体内の水銀の量が半分になるまでは約2ヶ月。睡眠の変化なら、もっと短い単位で見えます。
変えるもの・見るもの・いつまで。この3つが決まっていると、効かなかったときに戻せます。決まっていないと、効いたかどうかも分からないまま続きます。
結局のところ、この言葉が指しうるものは複数あります。
検査の数値を知ること。日々の変化のパターンを知ること。何をすると調子が崩れやすいかを知ること。医療者に説明できる形で症状を把握していること。どれも「知る」ですが、必要な手間も、得られるものも違います。
どれが自分にとって役に立つかは、いま何に困っているかによります。困っていることが特にないなら、網羅的に測る必要もありません。逆に、繰り返す不調があるなら、網羅的に測るより、その一点だけを丁寧に記録するほうが役に立ちます。たとえば頭痛なら、薬を飲んだ日にしるしをつけるだけで、診療の判断に直接使える記録になります。
参考文献・参考資料
- Zeevi D, Korem T, Zmora N, et al. Personalized Nutrition by Prediction of Glycemic Responses. Cell. 2015;163(5):1079-1094. doi:10.1016/j.cell.2015.11.001 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26590418/
- Duan N, Kravitz RL, Schmid CH. Single-patient (n-of-1) trials: a pragmatic clinical decision methodology for patient-centered comparative effectiveness research. Journal of Clinical Epidemiology. 2013;66(8 Suppl):S21-S28. doi:10.1016/j.jclinepi.2013.04.006 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23849149/
- 足立厚子「金属アレルギーの対処法〜全身型金属アレルギーを中心に〜」アレルギー 2020;69(3):169-173. https://www.jstage.jst.go.jp/article/arerugi/69/3/69_169/_pdf
本記事は考え方の整理であり、特定の検査・食事法の推奨や、個別の診断・治療に代わるものではありません。
SNSでフォロー
最新記事や、ここだけのコンテンツをお届けします。