「善玉菌を増やす」の前に、知っておきたいこと
いまの研究は、「善玉と悪玉に分ける」という前提そのものを外して進んでいます。
「善玉菌を増やして、悪玉菌を減らす」。日本の腸の情報は、たいていこの形で書かれています。分かりやすく、何をすればいいかもはっきりします。
この分け方は日本で広く定着していて、分かりやすさの点ではよく働いてきました。何が変わったのかを見ていきます。
まず、この分け方が広まった理由
否定から入る前に、なぜこの区分が使われてきたのかを確認しておきます。
腸の中は見えません。数百種類とも言われる細菌がいて、それぞれの働きも複雑に絡み合っています。この状態をそのまま説明しようとすると、話が始まりません。
そこで、体に良い働きをするグループと、そうでないグループに分ける。ビフィズス菌や乳酸菌は前者、ウェルシュ菌などは後者、という具合に。この単純化があったから、腸内細菌という存在自体が一般に知られるようになった面はあります。
分かりやすさのために作られた区分です。それをそのまま判断の基準に使い続けると、無理が出ます。
「バランスが崩れている」という言い方への批判
研究の側で議論になっているのが、「ディスバイオシス(dysbiosis)」という言葉です。腸内細菌のバランスが崩れた状態、といった意味で使われています。
オルセンとアルムは2016年、Nature Microbiology に「Dysbiosis is not an answer(ディスバイオシスは答えではない)」という論考を発表しました1。彼らの主張は、微生物の不均衡という発想が科学以前の思考の名残であり、体液のバランスで健康を説明しようとした古い理論に似ている、というものです。バランスという概念は、有用な微生物研究にとって無関係であるばかりか、むしろ注意をそらしかねない、とされています1。
翌2017年、フックスとオマリーは mBio で、この言葉が実際にどう使われているかを大量に集めて分析しています。彼らは定義と概念的な記述を分類し、ディスバイオシスの使われ方が持つ問題含みの含意を、とくに因果に関する仮説と、正常・異常の区別の点から指摘しました2。
この言葉が抱える困りごとは、次のように整理できます。ある人の細菌叢(腸にいる細菌の集まり)が「崩れている」と言うためには、崩れていない状態が定義されている必要がある。ところが健康な腸内細菌叢の定義は、まだ合意されていません。基準がないまま、差異があること自体が「崩れ」と呼ばれてしまいます。
もうひとつは因果の方向です。病気の人と健康な人で細菌叢が違うという観察は、どちらが先かを教えてくれません。関連と因果の距離が、ここでも問題になります。
菌は、文脈によって働きが変わる
二つに分けにくいもうひとつの理由は、同じ菌でも条件で振る舞いが変わることです。
同じ菌種でも、株が違えば性質が異なります。プロバイオティクス(生きた菌を摂る製品)の効果が菌株ごとに評価されるのは、この違いが実際に効いてくるからです。
また、単独では問題を起こさない菌が、宿主の状態や他の菌との関係によって振る舞いを変える場合があります。腸のバリアが健全なときと、そうでないときで、同じ菌の意味合いが変わります。
「良い菌」「悪い菌」という固定的なラベルは、この条件依存性を落としてしまう。落としているからこそ分かりやすいのですが、その分かりやすさが判断を歪めることもあります。
では、何も言えないのか
ここまで批判ばかり並べましたが、分かっていることもあります。
特定の病原体が問題を起こすことははっきりしています。抗菌薬の使用が細菌叢に大きな変化をもたらすことも観察されています。食物繊維の摂取量が構成と代謝に影響することも、繰り返し報告されています。
批判されているのは、これらの個別の知見ではなく、「善玉が多くて悪玉が少ない状態が良い」という一元的な物差しのほうです。ブリュソウは2020年の総説で、この概念の曖昧さを整理しつつ、その使い方に注意が必要だと論じています3。
実際、一般向けの解説では「良い菌を取り入れる」という言い方がよく使われます。次の動画は、医薬基盤・健康・栄養研究所の國澤純副所長が、発酵食品と食物繊維、そして菌がつくる物質までを12分で話しているものです。55万回以上見られています。
ここで話されている中身は、食物繊維が何を増やし、その菌が何をつくるか、という「何をしているか」の話です。分けて聞くなら、「良い菌」という言い方は入口の言葉で、中身は菌の働きの話をしているということになります。
フックスとオマリーの結論も、言葉を捨てろというものではありません。この分野が予測の範囲と説明の深さを高めていくために、研究者はディスバイオシスをどう語るかを注意深く省みるべきだ、というものです2。
日常での受け取り方
「ガスが溜まって張る」という症状を例にとると、菌の善悪では説明しきれません。ふくらみの多くは、中身が増えたからではないと報告されています。
この話が実際に効いてくるのは、製品や検査の説明を読むときでしょう。
「悪玉菌が多い」と示されたとき、何と比べて多いのかが問題になります。比較の基準になる「正常な状態」が定義されていなければ、その判定は解釈の一つにとどまります。
また、「善玉菌を増やす」とうたわれている場合、どの菌をどれだけ増やすと何が変わるのかまで示されているかを見たい。菌種名だけでなく株名が書かれているか、その株で何が調べられているか。ここまで辿れると、話の解像度が上がります。
そして、菌の数を直接動かそうとするより、食事の内容や薬の使用といった、自分で把握できる要因から考えるほうが、いまの研究水準とは相性がいい。細菌叢は結果として動くもので、つまみを直接回せる対象ではありません。
単純な物語を手放したあとに
手放したあとに残るものがあります。菌の善悪は決着していませんが、腸が出口であることは決着しています。
医学の教科書は、胆汁を「腎臓でろ過または排泄できない脂溶性物質の主要排泄経路」とし、そこへ出されるものに重金属を名指しで挙げています。そして経口で入った金属の大部分は、そもそも吸収されずに便として通過します。
「腸内環境」という言葉のうち、いま数字で確かめられるのは、菌の構成ではなく通過のほうです。
善玉と悪玉という物語には、はっきりした利点があります。何が起きているかを説明でき、何をすればいいかも決まる。それを手放すと、しばらく落ち着きません。
ただ、その落ち着かなさは、実際の複雑さに近づいたことの反映でもあります。腸の中で起きていることは、まだ研究者にとっても輪郭がはっきりしていません。分かりやすい図式のほうが先にあって、実態の理解が追いついていない、という順序になっています。
「腸活」という言葉には、確かめられる度合いの違う4つの目的が混ざっています。分けると、公的な目標量があるものと、判定する物差しがまだないものに分かれます。
参考文献・参考資料
- Olesen SW, Alm EJ. Dysbiosis is not an answer. Nature Microbiology. 2016;1:16228. doi:10.1038/nmicrobiol.2016.228 https://www.nature.com/articles/nmicrobiol2016228
- Hooks KB, O’Malley MA. Dysbiosis and Its Discontents. mBio. 2017;8(5):e01492-17. doi:10.1128/mBio.01492-17 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29018121/
- Brüssow H. Problems with the concept of gut microbiota dysbiosis. Microbial Biotechnology. 2020;13(2):423-434. doi:10.1111/1751-7915.13479 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7017827/
本記事は概念と研究状況の整理であり、特定の製品・検査の推奨や否定、個別の診断・治療に代わるものではありません。
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